「あの人は、アリスの為に生まれてきたんですよ」
太陽が力を奮う昼の空の下。珍しい事に騎士と共に過ごすティータイム。ぽつりと漏らした一言を聞きながら、白い淵を口に付け、茶色の液体を味わう。
「其れが、あの人の意味なんですよ。だから全て奪われたんです。全てが消えてしまったんだ。アリスの為に居なくてはならないから、アリスの為に居ないあの人に用は無いから。全部作り返られてしまったんです。余計な感情を思い出も、全部消されて」
頬杖を付き、視線は彼女にあるのかないのか曖昧なまま。その瞳が見ているものは、彼女でも景色でも無く。彼の恋した一人の男。甘い物を好まない彼にしては珍しく、茶菓子を手に取って口へと放り込む。甘いお菓子は苦々しげに噛み砕かれた。納得したと言わんばかりの顔をして彼女はカップから口を離す。
「御前の事も」
「その通りですよ、陛下。俺の事も何一つ。何一つ、覚えていない。アリス以外は敵で、もしくはどうでも良い物になってしまったんです、ぜーんぶ」
嘆きながらも茶菓子を放り込んでは噛み砕き、苦味を消すように紅茶を口に含めば、また苦そうにする。そんな風に食べて飲んで良い物では無いと溜息と共に吐き出した。けれど珍しく、怒ろうとは思わなかった。彼を見る彼女の眼に浮かぶのは、何色か。
この男に全て食べられてしまうなんて勿体無い。彼女も茶菓子へと手を伸ばし、其れを口に運んだ。沢山あった筈のそれらは既に半分以下になっている。ふと、彼女は動きを止めた。常時なら甘い筈の其れが心なしか苦い。確かに甘い筈だった。つい先程までは甘い筈であったのに、何故だか甘さは少しも感じなかった。
「だから、陛下」
心の中で首を傾げる彼女を遮るように彼の声が再び響いた。立ち上がり、彼女の足元で膝を付く。敬意と、忠誠を。見せ掛けの、一瞬だけの本物が詰った。
哀れむように、彼女は騎士を見た。
「ご命令を」
「わらわになんの意味がある?そうして、わらわになんの得がある」
顔を上げた騎士は、青空が嫌味な位似合ってしまいそうな程の笑みを浮かべる。彼女は眉を寄せ、彼がそうしていたように甘い菓子を噛み砕いた、苦々しげな顔をして。紅茶を口に含みながら、返答を待つ。
「俺の全てを捧げます、常に貴方の第一の僕になります。俺は騎士だから、ちゃんと約束は守りますよ?」
だから、ね?薄ら寒くなる程の甘ったるい声。悪女のような男。カップを投げつけて、顔を蹴り上げたい衝動に駆られながら、震える手を隠してカップを置いた。茶色の水面は心を表すように揺れる。大きな溜息を吐くも其の意味を知る者は誰も居らず。騎士の方へと向き直れば、杖を振り上げ、騎士の頭の上に降ろした。口元には美しい弧を浮かべて、口を開く。
「汝に命ず、アリスを、殺せ」
頭を一段と深く下げれば彼女の足にそっと手を添えて持ち上げる。顔が近付いたかと思えば温かな感触。嬉しそうなその顔に妙に心が動かされる気がしてならなかった。動揺を見せる事等許されないと、泣き出しそうな少女の眼を隠して、冷めた瞳で騎士を見つめた。
礼をすれば、颯爽と彼女の前から去っていく。残されたのは彼女一人。居なくなれば安心したと云うように肩が落ちる。冷めた紅茶を淹れ直させれば、また口に運ぶ。飲み終えたカップを思い切り床に叩きつけて、彼女は笑った。
薔薇に接吻
「可哀想に」
其れは誰に向けた言葉か。少女か、騎士か、彼女自身か。
(080229)