一緒に行こうと言われた。行く当てなんて無いというのに何処に?僕の手を取った其の男は笑みを浮かべながら手を掴んだまま。逃れる事さえ許されないこの状況。何処に行くと言うのか。いつものように目的地がある旅なんかじゃないだろう。いつもある目的もあって無いような物だと言うのに。迷って迷って迷ってばかりで、目的地に辿り着く事さえままならない癖に。どこに辿り着くか分かったものじゃない。

握る手の温度はお互いが手に嵌めた盾で温度が伝わる事は無い。他人の温度なんて知りたくもない、他人の事なんてどうでもいい僕等だから。僕は彼女以外を、彼は全てを拒絶する。受け入れられる物なんて何も無い。ただただ拒絶するばかり。手から伝わってくるものなんか何も無い、心境も鼓動も温度も何もかも。感じるのは痛みだけで手首がずきずきと痛みを告げる。彼女から受ける以外の痛みなど望んでもいない、彼からの物となれば最悪だ。動かしても僅かに動くばかりで、離れる事なんかできやしない。
大嫌いで仕方無いけれどお互いがお互いの事を分かっているから、だから僕がそんな誘いを受けるなんて事はありえないと知っている筈なのに。今日に限って何故。


「行こう」

もう一度言われる。焦ったような響きが面白くて何も言わない。表情は相変わらずの笑みなのに、急いでいる声色がアンバランス。何をそんなに焦る必要があるのか。腕を引く強い力も無視して、いつもの彼と同じように微笑む。造られた笑顔を浮かべて何を隠すのか、僕は知らない。隠すものなどなにも無いし、隠すものに興味もないから。

温度が伝わらない代わりか振動が伝わってきて、彼の顔から目を離して腕を見た。小刻みに震える腕に珍しい事もあるものだと本当に笑みがこみ上げてきた。ああ可笑しい。何をそんなに動揺する必要があるのか。いつもと逆転した立場で居るのは心地が良い。狩られる者と狩る者、たまには貴方も追い詰められる気分を味わうのも良いでしょう?黙って黙って黙り通す。城の廊下であるにも関わらず誰も人が通らないのは、僕等が居るのを知っているからか。賢くて結構だと、どうでも良い事が頭を通る。それ程に、今日の彼には余裕が無くて僕には余裕があった。こんな機会、自分で言うのも悔しい事実だが滅多に無い。





「いこう、ペーターさん。いこう」




虫の鳴くような小さな声。震えた手、見えない表情。分かるのはいつもの笑みを彼が浮かべていないという事。彼の代わりに笑みを浮かべるのは僕。小さな声でただ呟かれる。彼があまりにも小さい可哀想な、そして愚かな人間に思えてきて、思わず笑ってしまった。いますぐ何かにこの光景を記憶させて植えつけて、彼女に見せてあげたい。目を丸くして驚くであろう彼女の様子が映り、笑いは静かなものへと変わる。彼はいまだ呟き続ける、いこう、いこうと。













愚かだね、そんな君が好きだよ


(070723)